高文研が2013年に出版した本、「みつばち飼う人この指とまれ!」という本があります。
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私の父「宮崎昭行」が、長崎県五島列島に「日本ミツバチ再生プロジェクト」という名のもと、五島列島には以前は日本ミツバチが住んでいた形跡がありましたが、既に絶滅していたことをきっかけに、日本ミツバチを五島列島で復活させる活動を行った内容が記されていました。
現在では、このプロジェクトは成功し、五島列島では、多くの方が日本ミツバチを飼育されています。その最初のきっかけになった苦労した話などが書いてあり、多くの方に読んでもらおうと思い記事内容を掲載します。

はじまり
私が日本ミツバチの養蜂を始めたきっかけは、私のライフワークの原点である「エネルギーを含めた自給自足」つまり、環境・エネルギー問題が根本である。近代化が進むにつれて、自然破壊が起こり、エネルギーの使用は急激に増加している。私はその問題に向き合うため、かつて自然と共存をしていた古人たちの生活の知恵を学び、自給自足に取り組むことにした。蜜蜂の養蜂はそのような考えのもとに始めたものである。
養蜂を始めるまでの過程
2000年、自給自足の生活を実現させるため、市街地の長崎から五島へ移り住んだ。まず初めに取り組んだことは、合鴨農法による無農薬米を作り、馬耕または牛耕で田を耕すことだった。これにより自分たちの食べる米を作ることができた。しかしこれだけでは人間の食生活に欠かせない、塩・糖を手に入れることが困難である。そこで糖を得るために考えたのがミツバチの養蜂である。さらに、ミツバチは植物受粉においても大きな役割を果たすことが、自給自足を目指す私にとってはとても重要な取り組みとなった。
しかし、ミツバチの養蜂を始めるにあたっては問題があった。それは養蜂について詳しい人が見つからなかったことである。そこで、まずは趣味で養蜂をしている方から西洋ミツバチの箱を1箱購入し、自分なりに工夫をしてみたが、1年で滅びてしまった。
そんな時、個然にも日本ミツバチを飼育している久志富士男氏と知り合うことができた。久志氏は日本ミツバチに関して極めて造詣の深い方であり、同じ長崎県の佐世保に住まわれていたため、早速、久志氏に五島に来てもらい現地調査をしてもらうことができた。そして、久志氏よりミツバ手に関する知識や蜂額の作り方などの基礎知識をすべて学ぶことができたことが、これから始める五島日本ミツバチ再生プロジェクトの大きな支えとなった。
日本ミツバチを養蜂するにあたり、久志氏に調査を依頼したところ、私たちの住んでいる福江島だけでなく五島列島自体に日本ミツバチが生息していないことが解った。聞き取り調査によると、戦前は生息していたようである。何故絶滅したか理由は明確ではないが、炭焼き後の針葉の植林、葉タバコの乾燥の燃料としての伐採による広葉間の減少、農薬などが推察される。そこで、島外より日本ミツバチを導入するという日本ミツバチ再生プロジェクトが久志氏の指導の下、私一人で始まった。
日本ミツバチ再生プロジェクト
まず初めにとりかかったのが、日本ミツバチを五島に導入するため、待ち箱にミツバチを入れるということである。久志氏より、島原が 1990年の火砕流の後、人が入れない区域に日本ミツバチが繁殖していると聞き、
2007年より毎年約 30箱の待ち箱を島原に設置した。3年間同じように待ち箱を設置することで、合計で約30~40群を捕まえることができた。
次に考えるべきことは、ミツバチが入った蜂箱を島原から五島に運ぶということである。しかしここで問題なのは、昼間は働き蜂が外に出ているため、日没後に分蜂を閉じこめ、深夜に移動をしなければいけないということであった。そこで、日没後に蜂額を動かし、深夜に長崎までトラックで移動し、フェリーで長崎から五島列島まで動かすという計画を立てた。
しかし、移動にはやはり困難を伴うもので、一度だけフェリーの中で蜂箱から蜂が大量に逃げ出し、貨物室に教千匹の蜂が舞うという事態になってしまった。その時は、昆虫が光の方向に飛ぶという原理を利用し、蜂には可変そうなことだったが、船の貨物室の電気を消し、走行中のフェリーの扉を開けて外に出すことで事無きを得た。この過程を繰り返し、ようやく日本ミツバチを多数五島に連れてくることができた。
ここで、何故こんな困難な作業をしてまで30~40群という多数の分蜂を捕まえたのかと疑問に感じる方もいるだろう。私が五島に日本ミツバチを導入するにつれて、特に注意したことは、数が少ないことによる近親交配である。一時的には変化が見られなくとも、五島の島の閉鎖空間では長い時間の中で滅びる危険性があると考えた。私が始める以前に日本ミッバチの養蜂を五島で始められた方がいたが、2群程度で始めたため、蜂の性格に変化が生じ、人を刺すようになったそうだ。30~40群で十分なのかは不明だが、現時点では農薬を散布する田畑の近辺以外は良く繁殖しており、性格も穏やかである。
次に取り組んだことは、五島で日本ミツバチの養蜂愛好者を増やすことである。日本ミツバチの分蜂を一人で全て捕まえるのは困難であるため、五島で日本ミツバチをさらに増やすためには養蜂愛好者の協力は不可欠だ。
対馬では日本ミツバチ養蜂の伝統があるが、五島には西洋ミツバチのプロの養蜂家か、ハウスでのほぼ使い捨ての西洋ミツバチを扱う農家しかいなかった。
そこで、日本ミツバチの養蜂は西洋ミツバチより簡単で素人でも飼えること、蜂蜜はとてもおいしいこと、果物や野菜の受粉にとても重要な役割を果たしていることを、いろいろな場でアピールした。すると、2008年には、蜜蜂がいないため人間の手で受粉させているというカボチャ農家が養蜂を開始することとなった。現在では、人間が受粉するより成績が良いとのことである。
その後、口コミで徐々に養蜂愛好家が増え、2011年、「五島和蜂の会」を発足した。現在、会員25名及び非会員数名が日本ミツバチを養蜂している。その中にはイチゴのビニールハウスの外に蜂箱を置き、ハウスの中と外を自由に飛べるようにすることで、イチゴの受粉率をほぼ100%にしいる農家もいる。この方法も久志氏の指導で比較的うまく進行している。
唯一難点なのは、蜂がハウスの中で死んでしまうことがあるため、永続するにはかなりの注意が必要ということである。
また、五島は椿油で有名であり、たくさんの椿が自生し、植林もされている。その受粉には、メジロと日本ミツバチが関与していると考えられているが、最近メジロが減少傾向にあり、受粉率が悪いようである。そこで、五島市の農林課が日本ミツバチの受粉の役割を調査し始めた。

また、日本ミツバチが受粉に深く関与していると考えられる観測結果が上のグラフである。(グラフ:巣箱重量調査結果)これは棒林に置かれた蜂箱の重量を継時的に測定したものである。一般的には冬季はミツバチによる蜜の採取が減り、それと共に蜂箱の重量は減っていく。しかし図が示すように五島では、冬季における蜂額の減量が少ないようである。これは比較する資料が無いためあくまで推測となるが、冬季の間にミツバチが確の花から蜜を採取し、それが冬季における蜂額の減量を少なくしているものと考えられる。現在、五島市の農林課と調査しているが、これらの調査が今後のプロジェクト発展に繋がることを期待している。

さらに、2012年には初の蜂蜜品評会を行なった。私はその鑑定の審査員を務めたが、同じ日本ミツバチの百花蜜であるにも関わらず、採取する場所や時期によって、香りや味の違いが出ることに驚かされた。
蜂箱の形
初めは久志氏の考案した蜂箱を使った。重箱式で1段が横2方向の内径25cm、高さ120mで、この枠の一番下に出入り口の枠を付けるという形である。しかし、その後、神社の境内に作った大きな自然巣の観察をしている内に面白いことに気付いた。お参りする神社の小さな社の床下、横幅1.5m四方、高さ 50cmの空間に巨大な巣を作っており、巣の出入り口は基礎コンクリートと横壁の四方に高さ1cm、幅1.3mという形で空いていたのだ。お参りする人を刺さぬよう、その出入口の約半分を閉めておいた。すると数日後、社の下方の閉ざした出入り口より液体が染み出していた。それを舐めると蜜ではなく水であり、その水の近くには他の昆虫がいたのだ。
これは出入り口を狭くしたことにより換気が悪くなり、結露したことが原因である。その水によって他の昆虫を呼んでしまうのだ。蜂は糖度10%程度の花の釜を蜂箱の中で80%にまで濃縮する。蜂の巣箱の中は高湿度で、蜂の健康と糖度の濃縮には換気が極めて大切なのである。それ以降、十分な換気に成るかは解らないが、冬の寒さ対策も考慮し、出入り口を箱の前後に付けることにした。
また、私は仕事のため時間がなかなか取れず、1年1回の採蜜をしている。その間、蜂群が大きくなった場合は継箱しているが、5段以上にな箱が高くなり不安定であること、高くなると採徴の最上段は蜜が少ないことに気付き、2013年より箱の内径を 25cmから30cmにした。(左上写真)そうすると、縦と横を5cm大きくするだけで体積は約1.5倍となる。そして、高さは4段以上にはしないようにした。今年 2013年開始して、現段階では分蜂は上手く入っている。採蜜が上手く行くかは今年の暮れの楽しみである。乞うご期待。
蜂箱の設置場所
初めは診療所の近所を基点に、いろいろなところに設置した。しかし、しばらくすると、田んぼ周辺の蜂箱が死滅していることに気づいた。原因はネオニコチノイドなどの農薬と考えられる。そのため、現在は水田より500m以上離れた場所で、かつ広葉機の多いところを中心に40~50箱ほど設置している。(右上写真)
また、もう一つの問題は、直射日光の当たる所の巣箱がほとんど死滅するか、巣箱の中の巣が溶けているのが観楽されていることである。これは地球温暖化の影響も考えられるが、原因は明確ではない。今後は木陰にのみ設置することにしている。

飼育方法・ミツバチとの付き合い方
養蜂初期は蜂箱の分蜂を捕まえるというスタイルだったが、分蜂を捕まえるのには時間がかかるため、現在では待ち箱を多数作り、蜂の入りそうな場所に盛期を誘因剤として置いている。分蜂の入っていない箱はなるべく梅雨頃に回収している。
また、個数としては1か所に巣箱はせいぜい5箱(普通2~3箱)
としている。これは、日本ミツバチは西洋ミツバチと違い、
砂糖水を与えないからである。そのため、
設置場所が広範囲になってしまい、
全ての巣箱の箱の継ぎ足しや周囲の草を取り除くという作業ができ
ない場合もある。
中には採蜜以外ほとんど見に行かない蜂箱もあるのが現状であるが
、特に問題なく採取できている。
蜂箱を設置する場所に関しては、
できる限りその土地の持ち主の許可を得るようにしている。
しかし場合によっては人通りの少ない道路傍に勝手に置く場合もあ
る。
対馬ではそのような伝統があり、
五島でもその習慣を根付かせることができればと期待している。
蜜の採取
島原から分類を抽まえて来た時は、五島で日本ミツパチを増やすことを主眼にしていたため、たくさんの分蜂群を得るために採蜜は少なめにしていった。しかし、今は五島福江島全土に日本ミツバチが広がっているため、
ことができた。
1箱より3〜6kg程採蜜しており、昨年(2012年)は約100kg採蜜する
採蜜の時期は10~11月の間、年に1度だけ行っている。蜜が多く取れる春に採蜜すると、もっと多く採れると思われる。蜜絞りは巣礎の入ってない重式であるが、果を取った後枠組みに入れ、遊心分離機で分離している。
蜜蜂を飼って思うこと
今まで昆虫が可愛いと感じることはあまりなく、昆虫の気持ちを理解するということを考えもしなかった。しかし、久志氏が蜂の気持ちが解ると言った時、最初は理解できなかったが、ミツバチと過ごすにつれて、次第にその意味が解るようになった。
また、一般的にはスズメバチは悪い危険な昆虫と思われているようだが、久志氏が言うには、スズメバチが他の昆虫を食べ、そのおかげで野菜の害虫が減るといった自然のネットワークで重要な役割を果たしている可能性が有ることを指摘し、スムシについても巣箱の掃除の役割があると考えている。私もその考えに納得している。私たちは、自然界の神秘にもっと耳を傾ける必要を感じた。

ネオニコチノイド系農薬が使用され始め、五島でも日本ミツバチが随分死んでしまった。しかし、ヘリコプターでの空中散布が無いため、500mほど離れると何とか大丈夫なようである。養蜂を始めて、農薬がいかに環境を破壊し、人間にもその他の生物にも予想以上の影響を与えていることを改めて考えさせられた。
現在、自閉症が増えている原因は自然環境の変化、特に農薬などの化学物質が原因と考えられている。しかし、その証明は困難であると同時に、農薬製造会社が官僚や政府に働きかけ、農薬反対運動を無視するようにさせていることなど、改善には難しい現状である。これは、原発問題で電力会社が官僚や政治家やマスコミに圧力をかけ、いかに産業を誘導し、それが今回の福島原発問題につながったかを皆さんが理解したのと同じパターンである。
「日本は貿易立国だ」という偏った考えや、「科学が進歩すれば何でも解決できる」という科学信仰が日本人の深層心理にあるからだろう。私たちは、自然を支配できるのではなく、自然の恩恵で生きることができるということを再度認識させられた。
最後に、先日、急逝された久志富士男氏に謹んで哀悼の辞を述べます。
氏が日本ミツバチの飼育方法を広めなかったら、壱岐、五島列島の日本ミツバチの養蜂は遥かに遅れ、しかも拙劣な物になっていたでしょう。氏は、博学な養蜂の知識と
蜂の気持ちを理解されるまでに蜂を愛されていました。氏の情熱と知識により五島で養蜂ができると知り、胸が熱くなり、ワクワクしたのを今でも思い出します。氏の志を受け継げるよう、これからも精進してまいります。