はじめに
「引き際」という瞬間は、あらゆる分野において重要な転機を迎える。この言葉は、状況や関係において、適切なタイミングで自分を引っ込めることを指す表現である。
物事が進む中で、適切な時に立ち去る、関与を終える、あるいは続けるべきでないと感じた時に離れるといった意味合いがあります。ビジネスや人間関係などさまざまな場面で使われ、慎重な判断や配慮が必要な状況で、無理に続けずに適切なときに手を引くことが重要だとされています。
昨今、政治や芸能界を含め世間を騒がしていますが、長年社会に貢献してきた人々が引き際を誤り、非難されて辞任する姿がテレビや新聞で目にすることがあります。もちろん、辞める原因となるものが社会的に許されないようなことをしているのであれば、当然非難されるべきです。しかし、その人の今まで行ってきたことが全て悪いわけではありません。引き際を考え引退し、これからの将来を担う若い人に道を譲るような考えがあれば、違った終わり方を迎えた可能性があるのではないでしょうか。
政治、医療、高齢者、若者などの視点で私の考えを書いてみました。
政治
日本の政治における課題の一つが政治家の高齢化だと思っています。
政治の舞台で活躍する高齢の政治家の中には、栄光にこだわり、新しい発想に乏しい政策が散見されています。この傾向は、革新的な政策を生むうえで大きな障害になりつつあります。新鮮な視点を持ち込む能力が欠けているため、現在進行形の多くの課題に対して適切な対策を講じにくくなっているのではないでしょうか。
特に、少子高齢化という深刻な問題に対して、目先のことにとらわれがちで、長期的な視点を持って対応する力が不足していると言えるでしょう。若い世代が抱える問題や、その解決策について、見当違いな政策が多いことからも多くの人が納得できる意見ではないかと思います。
政治家にとっての引き際は、個人のキャリアはもちろん、政治的安定においても非常に重要です。各業界でも、60〜65歳定年が設定されていることからも、しっかりと世代交代を行うことが、政治の新鮮な視点をもたらすチャンスだと思います。
引き際を検討する際、その政治家が長年にわたった政治活動で蓄積した力などが引き際のタイミングを見誤る要因となることがあります。
一方で、若者への負担を考慮した場合、新しい発想やエネルギーを政治にもたらすことで、社会全体の革新を促すという観点から、適切な引き際が必要とされています。政治家自身がその時期を見極める智慧と勇気を持つことは、如何なる政治システムにおいても望まれる資質でしょう。
医療
医療の世界においても、引き際は極めて重要な問題です。特に医師の高齢化は、経験と知識が豊富なため長く現役を続けるケースが多いですが、身体的、認知的能力の低下、新しい医療手法やテクノロジーへの柔軟な対応が難しいケースが見受けられます。
特に病院では電子カルテが普及していますが、開業医で電子カルテの普及が進んでいないのは、パソコンが苦手ということが原因となっています。また病院勤務の高齢医師もキーボードが打てないなどの問題も依然として存在しています。
パソコンが世に普及して時間が経ちますが、それに適応できない高齢医師もいることから、柔軟な対応をすることが歳をとるにつれて難しくなることからも頷けるのではないでしょうか。もちろん、私自身にも言えることではないかと思っています。
現在では、Chat-GPTなどのAIの新たな出現により、今後医療にも大きな変化が求められます。既に内視鏡、レントゲン、CTなど多くものにAIが搭載されてきており、さらに普及していくと思います。
一方で、大学で教鞭を取る教授は一定の年齢に至ると退官します。しかし、医療現場における引退年齢に統一された規定はなく、特に病院長などの管理職については、多くの場合任期の定めは存在しません。
医師自身が自らの引き際を見極める事は極めて困難であり、個々の医師の技術や判断力を定期的に評価し、これを引き際の判断基準として活用することが望まれます。制度としては定年制度の導入や、定期的な知識・技術評価のシステムが必要だと思っています。
米国では、数年に1回の試験を内科専門医を取得した後も受ける必要があり、もし不合格の場合は、診療ができないなどの一定の措置が取られるため、医師は専門医を取得後も、常に知識をアップデートしています。
一方、日本では一度専門医を取得すると、学会の単位を取得するだけで更新できる。知識を試されるような試験はありません。自分自身で勉強していく作業は、なかなか大変であり、きちんとした勉強会も少ないため、特に地方では、製薬会社の新しい薬品の案内を受けるだけの機会しかない医師も多いのが現状です。
高齢の医師が現役を退く際には、適切な後進の育成も重要な課題です。経験豊かな医師が若手への指導に専念する仕組みを設けることで、スムーズな世代交代を促進することができるのかもしれません。また、有能な知識や技術がある高齢医師の場合には、現場から退いてもその知識や経験を活用できるような、ポジションを設けることも一つの解決策となるのではないでしょうか。
本格的な引退への対応策を考えることは、患者の安全を守るうえでも、社会全体の医療の質を維持するうえでも、重要な取り組みだろうと思います。
高齢者
社会はますます高齢化が進み、老人の存在感が巨大化しています。高齢者は社会のさまざまな場で重要な役割を担っており、豊かな経験や知識は無視できない資源でもあります。
特に伝統技術などのスキルは、長年の経験などで培われます。日本では高齢化とともに、多くの伝統技術が失われています。畑や田んぼを耕す際に使用する鋤などを作れる職人なども、日本には既に存在しない可能性もあります。
私の弟は、日本でただ一人舟釘を作ることができる鍛治職人です。その他にも、包丁など多くのものを作れます。
またもう一人の弟は、桶職人です。特に大桶(醤油などを作る際に使用する大きな桶)を作れる職人は、弟を含めわずか4名ほどです。普通の桶を作れる職人も日本ではわずかになりつつあります。また木造船は昔は、当たり前のように日本でも見られる光景でしたが、木造船を作れる職人も高齢化しており、日本古来の木造船が作れる職人が消えようとしています。
今後、この技術を次の世代に引き継いでいく必要があります。一度失った技術を復興させることは、とても大変であり、なんとか、このような技術が失われないように、国を挙げて対応をして欲しいと思っています。
アドバンストケアプランニング
最近では高齢社会が加速する中、どこまで医療を行うのかという問いへの答えを模索する動きが活発化しつつあるのではないかでしょうか。確かに寿命を伸ばすような医療行為は存在しますが、個々人の尊厳と生活の質(QOL)を尊重する観点から引き際も考える必要があるのではないでしょうか。
特に最近注目されているのがアドバンストケアプランニングです。これは、医療者ではなく一般の人が自身の望む医療をあらかじめ計画し、周囲と話し合いを重ねることに重点を置いており、話し合った結果を、将来の自分の意思が反映されるよう、緊急時にも分かるように、マイナンバーカードに紐つけるなど、制度的な補完も必要ではないかと思っています。
日本の病床数は世界一
一方で、日本は病床数が世界で一番多い国としても知られています。
ただし、各国の病床数は医療制度や文化、経済状況によって大きく異なるため、一概に多い、少ないとは言えないですが、以下に、いくつかの国の病床数と比較してみます。
日本: 約133.7万床(2021年時点)
アメリカ: 約97.8万床(2018年時点)
ドイツ: 約50.1万床(2018年時点)
フランス: 約38.3万床(2018年時点)
イギリス: 約28.2万床(2018年時点)
これらのデータからも分かるように、日本は病床数が非常に多い国であり、特に他の先進国に比べて突出しています。この違いは、日本が比較的長い期間、入院治療が一般的であり、急性期医療を確保するために多くの病床が必要とされてきた歴史的背景や医療制度のに起因しています。
入院期間を短縮し、病床数を減らす、またもう少し治療が必要な場合には、在宅や施設などでもある程度の医療行為を継続しフォローできる体制を整える必要があるのではないでしょうか。
残念ながら、医療機関としては、常に満床にすることで売り上げが上がるシステムであり、入退院を繰り返すことで収益増加を考えてしまいがちです。病院の収益向上としては有効な手段ですが、入院しベットに寝たきりにさせられる老人達は、むしろ入院により、高齢者のADL(日常生活動作)を低下させてしまう事態も発生しています。
その結果、さらに家族や施設の介護負担が増加し、無駄な医療費の増加が社会問題となっており、国際基準を踏まえた病床数の削減が求められます。一度は病床削減の話が上がっていましたが、新型コロナウイルス蔓延により中断していたため、病床数削減の話を再開させる必要があると思っています。
亡くならせてもらえない高齢者
亡くならせてもらえない高齢者の問題も深刻です。食事も食べれない寝たきりの状態でも、病院では中心静脈栄養を投与することで、むしろ診療報酬が増えるために、積極的に使用するケースも散見されます。確かに食事が少し食べれるようになることもあるかもしれませんが、本当に本人が望むような治療なのか、もう一度考える必要があるのかもしれません。これには、高齢者の入院の医療費が安すぎることも影響しているのではないかと個人的には思っています。
また施設で亡くなっても、確認に来る医師不在のため救急搬送されるケースが散見されます。救急搬送され、心臓マッサージが行われ病院に運ばれ最期の看取りをされる高齢者も多いです。さらに心拍再開時には、予期せぬ集中治療が行われる事例もあり、馬蹄を積む医療費が問題視されています。
医療者側も、搬送される高齢者が、老衰や大往生ではないかと思うようなケースも多く、搬送された高齢者に心臓マッサージを継続するのは、心理的にも大変つらいものです。
施設で看取りをすることは、施設側にも大きな負担を生じます。そのため、施設での看取りを推奨すると同時に、それに見合った報酬を看取りをする医療機関・施設側に与えるなどの対応が必要ではないでしょうか。
これらの問題は、ただ病床数を削減するだけではなく、医療の質の向上、個々人の意思決定の尊重、適切な報酬体系の構築が求められているのではないかと考えています。
若者
日本社会における若者の役割は日増しに重要性を増していると思っています。しかし、政治分野に目を向けると、若者が積極的に参加する動きが見受けられません。また、若い世代が中枢に立つ姿は稀です。これはアメリカでさえも大統領が高齢者であることからも窺える現象だと思います。
日本でも、30代や40代で首相になるような若手人材が少ないのは、政治への参加意識の低さと政治家への道が険しいという現状が影響しているかもしれません。
たとえば、日本のトップ大学である東京大学出身者の中には、絶大な能力を持ちながら政治の道を選ばない者が多い。これは単に政治への関心が薄いというよりも、実際の行動に移す機会が少ないためだと推測されます。
しかしながら、日本の将来は決して暗いわけではないと私は思っています。野球界においては大谷翔平選手が世界を驚かせ、欧州のトップクラブで活躍するサッカー選手も現れています。将棋界においては若き天才が実績を塗り替え、音楽界では新しい才能が魅力的な曲を世に送り出している。こうした動きは、若い人たちの中に確実に優秀な人材が増えており、彼らが様々な分野で光を放ち始めていることを示していると思っています。
これからの時代、高齢者は経験と知識を若者に託し、新しい世代が表舞台で主導的な役割を果たすことが大切だと考えています。そして、若者は、決して前例に縛られず、革新的な発想と変革の勢いで、若者自らが未来を切り開いていく姿勢が求められています。若者が政治に関心を持ち、行動に移していくことは、日本の明るい未来に不可欠なステップであり、その一歩はすでに始まっていると思っています。
若い力が一丸となって、暗い日本が再び明るくなれるように頑張って欲しいと切に願っています。